テラスハウス(地上波)の最終回を見た時のメモ書き
劇場版の公開、Netflixでの放送も始まったテラスハウス。
前シーズンの最終回を見た時のメモ書きがあったので、それを貼っておきます。
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最後のパート*1に副音声を入れなかったスタッフの覚悟に感嘆しました。
主音声だけを見ていた視聴者は気づかないかもしれないですが、副音声を無くすことで[主音声派][副音声派]の二極に分かれていた視聴者を一つにまとめ、哲の物語に集中させたかったのでしょう。
いや、もしかしたら副音声は入っていたのかもしれません。スタジオ出演者も沈黙し、哲の物語を見ることに集中していたかもしれません。
玄関の扉をあけた最後のシーン、哲はひとことも発しませんでした。
しかし、哲は確かに何かを見ました。何を見たのでしょうか。*2
そこで突然、テラスハウスは終わりました。
テラスハウスの放送には映らない住人たちの時間(リアル/物語/日常)を
視聴者の想像力に任せていた制作側は、哲が見た最後の風景も我々に託したのです。
そして、副音声を中心に見ていた視聴者にとってはあまりにも唐突な別れでした。
最後のパートで突然副音声が無くなってしまったため、
共に(擬似的な)お茶の間で過ごしたスタジオ出演者と最後の別れのあいさつもなく、終わったのです。
これほど、視聴者の想像力を信頼した最終回が待ってるとは思っていませんでした。
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*1:テラスハウスの番組としての基本構造についてはテラスハウスの副音声がおもしろい:前編 - Tentative の第6項を参照
自炊についてかんがえてみた:後編
(この記事は中編のつづきです。)
9. 自炊の豊かさは選択肢の多さ
愛すべきごはん。とりあえず、ごはん。
10. 太刀打ち出来ない労働コストの発生
11. 労働コストは減らせる
12. 「自炊ってめんどくない?マクド行ったほうが安ない?」への解答
「めんどい。ただ、マクド行くお金でかなりの数の献立が考えられる」
「友人知人恋人家族が作ったおいしい手作りご飯を食べれるところにいれば、人はなかなか死なない」
真理だと思う。
13. 余談
主婦力とは「家事において、経済面、工程面で合理的な手法を選択し、かつ見栄を晴ることが出来る能力」というのが今の所の見解です
自炊についてかんがえてみた:中編
(この記事は前編のつづきです。)
5. 本当に自炊は高くつくのか?
「そんなことはない、自炊はマクドに行くよりも安くすむんや…忘れたんか?」
The moyashi is a hair of God.
「材料費」
「光熱費」
「機材費」
6. 自炊に対しての疑問
7. ルームメイトから得た食材の「やりくり」
スーパーに行ったら、まずは生鮮食品の「見切り品」の棚にあるもの、もしくは割引シールが貼られたものを買う
食材を保存する
長期保存が可能な食材を買う
スルメイカが戻っていく姿は感動的ですらあった
「安い時に大量に仕入れ、保存する」
8. 「やりくり」したからって安くならない自炊
自炊についてかんがえてみた:前編
00. はじめにの前に
この記事は「料理をする」ほうの「自炊」について、だらだらと考えた記事です。
0. はじめに
1. 自分と自炊の馴れ初め
2. 自炊の価値について
- 自炊をする人(以下、自炊派)
- 自炊をしない人(以下、外食派)
- 自炊派「自炊は健康的だし、節約できる」
- 外食派「自炊ってめんどくない?マクド行ったほうが安ない?」
「健康的である」の定義
「節約」の定義
といった類の節約はガン無視します。「お店で食べたパスタが1000円したけど、家で作ったら材料費400円ぐらいだったー」
「電気ガス料金も滞納し、次のバイトのお金が入ればなんとか凌げる。しかし、財布にはもう1000円しかない、これであと10日間生き延びていかなくてはならない..」
- 「健康的である」 ---> 価値自体を無視
- 「節約」 ---> 食費を¥100/日以下
3. 自炊はコストがかかる
「自炊ってめんどくない?マクド行ったほうが安ない?」
これは全くもって正しいです。否定の余地がありません。自炊にもそれなりに金銭コストと、労働コスト(めんどいか、めんどくないか)がかかっているんです。
例えば金銭コスト。これが自炊のどこにかかっているのか、説明するほどのことでもありませんが一応書き出すと「材料費」「光熱費」、そして「機材費」です。
「材料費」 -- (基本的に)外食より金銭コスト高め
「光熱費」 -- あんまり考えないが、確実にコストは発生している
「機材費」 -- 「安かろう悪かろう」なので、結果的に高くなる
4. 自炊はめんどくさい
テラスハウスの副音声がおもしろい:後編
8. ここまでのまとめ
では、前回までを一度まとめてみます。
- テラスハウスは「一つ屋根の下での複数のオシャレ男女の共同生活に迫ったオシャレリアリティ番組」である
- スタジオのセットがどこかの家のリビング
- 構成上、番組をけん引するのは「シェアハウスの様子VTR」であり「スタジオトーク」ではない
- ありがちなワイプがない
- 締めのコメントもなく終わる
- 「スタジオトーク」がメインではないのに、スタジオメンバーは半分が芸人という違和感
内容に一切触れていないのはネタバレを気にかけているわけではなく、個人的に重要な、面白いと思っているのがそこではないからです。
番組を制作されているのはプロの方たちですから、上でまとめたような「普通のバラエティ番組とはほんのすこしだけ違う構成と違和感」が偶然とは考えにくいです。それらがどこに適用されているのか。そこがまさに個人的にドハマりしている部分なのです。
それが「副音声」という存在でした。
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テラスハウスの副音声がおもしろい:前編
0. はじめに
タイトルについてほそぼそと思っていたことを何とか書きたいなぁと思ってのんびり構えていたら、来週の月曜日に最終回を迎えてしまうので、慌ててせいりせいとんしていますので、乱筆乱文、しかも長文になっています。そしてまだ今日の時点では書き終えていません。書き終えることができるのでしょうか。
では、はじめます。
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なにかくか(1)
1.
むかし、mixiが今のようにソシャゲで売り上げがんがんあげてない牧歌的な空気が流れていたころがありました。そのころ、日記(いわゆるブログ)を3日に1回、勢いづいてるころは毎日投稿していたものです。それはもう「毎日あげたんねん」という意地みたいな感情が発動していて、それらの記事の中にはTwitterよりも短い文章で「日記あげた」とか言っていました。そのときの意地はなにゆえに発生していたのか覚えていませんが、その一連の意地は時が経つとそれなりに香しくなるもので意外と価値あるものに変容してたりするものが出てきたりします。そういうものを今も残しておきたいなというのが最初でした。
2.
ところがTwitter、Facebook時代をふわーんと通過してくると、なかなか「長い文章」というものを書かなくなります。習慣というか、身体行動として慣れない行為になってきます。頭で考えることも身体行動の一つとして考えるなら、それなりの情報量を処理できなくなってくるのではないかと多少恐れたりしちゃうわけです。
3.
日常的な感情の発露、ヤバい、反射的なアクション、ため息、ヤバい、感嘆みたいなものを出したい欲はTwitterでまかなえています。反射的なアクション、内容というよりはスピード感、これは驚くほど力がついている、維持しているような気がします。ただ、これに慣れすぎてくると日常会話も脊髄反射のごとく、光に迫る速度を可能にする軽さの内容になっていくような気がするのです(あくまで個人の問題です。頭が悪いのだと思う)。最近本当に悩んでいるのは「含蓄のあることが言えない」ということです。もうそろそろ多少深みのあることを言いたい。
4.
「含蓄のあること」とは、つまり「深みがある」ということで、その深みを得る為には「それなりの情報量を処理(思考)する」ことが必要であろうと、少なくとも自分の身体性・習慣としては必要であろうと思いが巡ったわけです。
5.
以上のことから、「長い文章を書く」という行為をする動機付け、個人的な思い込みはOKだとして、ではいったいなにを書けばいいのだろうということでしばらく悩んでいました。自分は本当に雑食で生きてきた、とりあえず目の前にあるものを食べないと死んでしまうと思って生きてきたので、実に誠に専門性が低い、誠意のない人間です。だから「鉄道について書こう」とか「映画について」「ラーメンについて「テクノについてプログラム、現代美術、サバの味噌煮、モーターの、身体性、回転…と何かを専門に、的を絞って書くのはまず無理だろうと壁にぶつかりました。その壁までは結構早めに辿り着いていたのですが、なかなかその壁を軽くジャンプする方法が思いつかないでいました...
つづく
(この所信表明みたいなテキストが未完成でもブログは投稿することにしました)