Tentative

おもしろいとおもったことをもう一回かんがえるせいりするまとめる

タイムベースド作品の制作と保存(収蔵)について自分ができること

はじめに

ここ最近、タイムベースドなインスタレーション作品に携わることが多かったです。 そして、大変幸運なことにその作品のいくつかは収蔵、もしくは収蔵検討となっています。 そういった状況から、 「タイムベースド作品をどういったワークフローで制作し、それを収蔵させ、そして再展示させられるか」 というのが自分の中で課題になってきました。 その課題を解決するために、作家の横に座ってるテクニカルスタッフという立場から考えてみたこと、現場で取り組んでみたことを綴ってみました。

あくまで、いちテクニカルスタッフが一人で考えて取り組んだことですので、お手柔らかに。


と、本文に行く前に。

文中にもありますが、より詳しい内容や歴史、そもそもタイムベースド作品ってなんやねんというのは、文化庁のサイトに大変詳細にまとめてありますのでそちらを御覧ください。文化庁すごい。

タイムベースト・メディアを用いた美術作品の修復・保存ガイド

本文中におけるタイムベースドなインスタレーション作品の定義

「作品が展開されている空間において、時間経過とともに表現が変化し、それが繰り返される作品」と乱暴に定義づけておきます。


タイムベースドなインスタレーション作品の「再展示」

タイムベースド作品の制作に関わっているといつも「50年後、100年後、この作品はまた見てもらえるのかなぁ。」と、妄想します。

そう考えると、次に

  • 「なにが残っていたら、この作品は展示させてもらえるのかぁ」
  • 「どういう仕組みだったら、また展示させてもらえるのかなぁ」

とも、考えるようになります。

まあ、でも単純に考えて「残す」ことができれば何とかなりそうです。でも、何をどうやって残そうか?


何を残せばいいのか、自分には何が残せるのか

タイムベースドなインスタレーション作品にはいろんな要素が存在します。

たとえば、「オブジェクト/物」。

残すの、大変そう(笑)

錆びるし、燃えるし、シュレッダーにかかるし。 でも、これらの保存方法については数多の美術館やギャラリーが持っているので、 そこはあまり自分の仕事にしなくてもよさそうです。

そういった「誰かがやってくれそうな領域」を削ぎ落としていった結果、 最後に残ったのは、タイムベースド作品特有の要素である、 作品の「立ち振舞い」であり「所作」でした。


作品の「立ち振舞い」であり「所作」の保存

これは自分が触われる領域だなと直感的に思いました。 なぜなら、自分がバックグラウンドとしてもっている「演劇/舞台」を参照軸におくと、 これは「戯曲」のことだなと思ったからです。

とりあえず、この戯曲を残してみる仕事をしてみようと思ったのです。


「戯曲」の制作

演劇/舞台だと、稽古に入る前に戯曲がほぼ書き終わっており、それをベースに稽古場で役者とともに練り上げていき、本番を迎えていくというプロセスが存在します。 *1

もちろん、タイムベースドの作品の制作フローと舞台作品の制作フローは大きく違います。 参加した作品制作の現場では「香港の映画製作に似ている」と話したこともあります。

香港では台本はなく、口伝えで役者にセリフが与えられ撮影しているとのこと。 タイムベースドの作品もそれに近い部分があって、現場で初めて時間が組み立てられていきます。 作家の横に立って、口伝えで役者に出した指示やセリフをすぐにメモって戯曲化していくイメージで、 作家の指示をシーケンサー(時間にそって何かしらの表現をするためのアプリケーション)に記録させていきます。


タイムベースド作品における「戯曲」とはなにか

シェイクスピアブレヒトなどの古典を「再演」するということは、 「戯曲」を、演出と役者が作品内の時間に沿って、なにかしらの表現を実行する。

となると、先程のシーケンサーがあるので、そのデータこそが「戯曲」とも言えるかもしれません。 あれ・・?実は深く考える必要がないのかもしれない。そのデータを残しておけばいいんだから。


「戯曲」の強固さ

ただし、各アプリケーションのデータは、それぞれに紐付けられており、 そのアプリケーションの開発が止まったり、動かなかったりすると、 「再演(再展示)」ができなくなってしまうので、個人的にはよろしくない。ダサい。

そのアプリケーションやデータがインストールされたPCを アップデートすることなく保存していく「一子相伝」みたいな伝承方法もあるんでしょうけど、 個人的には、制作方法や設計図だけが伝承され、定期的にリビルドされていく 伊勢神宮式年遷宮みたいな伝承方法のほうがカッコいいと思ってます。理にかなってる。

「演劇/舞台」の戯曲のすごいところは、 作家はもちろん、演者が全員死んでしまってても、 当時使用していた劇場や舞台装置が燃えてなくなってしまっても 戯曲が書かれているメディア(つまり紙)を製造していたメーカーがなくなってしまっても、 再演可能であるということです。強い。

タイムベースド作品も是非この状態に近づけておきたいですね!


「戯曲」の強固さを増すためには

じゃあ、どうするか。 将来、パソコンのOSがすべてなくなってしまっても、 再現の可能性が担保できていればいいはずですよね。 担保されつつ、再現が容易、簡単そうであるともっといい。 簡単じゃないと、検討すらしてもらえなさそう。

ということで、タイムベースド作品の戯曲は、

再設置しようとする「人間(もしくはそれ相当の生き物)」が読めるもの(解読が容易)であり、 タイムベースド作品の根幹である「時間」という絶対的な次元に依った「読み物」であること *2

と仮定することにしました。 戯曲だからね、読み物でしょ、やっぱ。 ではどういった形式で書けば、それはタイムベースド作品の「戯曲」と言えるのでしょうか。


「戯曲」の形式

すごい大雑把に書くから、演劇/舞台の人たちは叱らないでほしい…。 まぁいまさら詳しく説明もできないけど。 それはさておき。

一般的な戯曲の形式は大きく分けて、 「ト書き」という、役者の動きや空間、時間の説明などが書かれている、「地」の文と、 役者が舞台上で話す「セリフ」の2つの要素があります。 それらが、「場」や「幕」というブロックごとに分けて構成され、 さらにそれらを積み上げることで、「物語」=「戯曲」となります。 「場」や「幕」のブロック内では時間の流れは統一されており、 大きく時間が動いたり(たとえば、「三年後」とか、「夜が明けて」とか)、 場所が変わったりすると、違う「場」と「幕」となります。*3

ここで、重要視したいのは、基本の「ト書き」と「セリフ」です。

  • 「ト書き」は場所と状況を説明(描画)
  • 「セリフ」は表現

ト書きとセリフの順番で、時間経過を表します。

これに沿ってタイムベースド作品のシーケンスに落とし込むと、

(ト書き)1秒間を30分割したものを1フレームとして時間単位を定義する。 その13287フレーム目 (セリフ)スピーカー「ファーーー(音が鳴る)」

といった内容にできるはずで、 更には、先程から言っている強固さを持たすために、 これを人間が読んで理解できる「読み物」にしちゃえばいい。


あれ、やっぱり簡単なことじゃないの?

で、実はここまではそんなに難しくなくて、

「はいはい、xmlJSON形式で残せばいいんでしょ」

なんです。

xmlJSONを めっちゃ雑に説明すると、人間でも読み書きがある程度可能なデータ形式のこと。 バイナリといわれる「0と1」だけで構成されたデータではないので、読めます。

そうなんだよー、簡単なんだよー!

ただ、それが一体いつ作成されて、どう運用されていたかが 演劇史的にも美術史的にも、めっちゃ面白い問題になると思っています。 いや…、ただの個人的なこだわりなのかもしれない。


「戯曲」の出自 - 手垢のついたxml

たとえ話を2つします。 ふたつの話の中で扱われるデータはすべて同じデータとします。

[A] ある作品が制作され展示されました。 そして、その作品の収蔵が決まったので、 シーケンスアプリからパブリッシュしたxmlファイルとともに収蔵されました

[B] ある作品が制作され展示されました。 そして、その作品の収蔵が決まったので、 シーケンスの再生に使用していたxmlファイルとともに収蔵されました。

この話の相違点は、xmlファイルの出どころです。

  • 前者は、実際使用していたデータを変換したxml

  • 後者は、実際使用していたxmlです。

これ、データ的には全くの等価です。作品の振る舞いも全く同じでしょう。 どちらのxmlを保存しても、作品の保管という意味では目的を果たせます。

しかし、収蔵が決まってからパブリッシュ(出力・書き出し)されたxmlはあくまで「あと付け」。 実際にそのxmlで作品が展開していたわけではありません。

この「実際に表現で使用されたデータであるかどうか」という事実が、 これまでの歴史を顧みても、のちのち重要になってくると予想します。

実際にソクラテスが書いたものなのか、 ソクラテスの弟子プラトンが後に書き起こしたものなのか、 どっちやねん! といったような問題が発生する気がするんです。

めっちゃ細かいけど、伝わるかなこのニュアンス笑。

これを作家(と一心同体であるテクニカルスタッフ)が作成しておけば、 後の美術関係者がもめなくていいはず。 考古学者や専門家が独自の解釈を入れた戯曲とかに変容することなく作品の純度(?)が保たれるし、 これを元にみんなケンカしないでしょ。

という想いがあります。

あとは、単純に あとからパブリッシュして収蔵ていうのがかっこよくない。 作成して運用した手垢のついたxmlを収蔵したほうがかっこいい。

実際、xmlデータに出自の問題なんてないし、手垢の問題も、エイジングもかかりませんが 作品というか、美術っていうのは、そういった部分も語られていく傾向、可能性、 懐の深さがあるんです。 おもしろいですね。


いったん、まとめます。

タイムベースド作品の収蔵を検討するためには 時間の経過とともに展開される表現を記したデータを保存し、 かつ、それは我々人間が読むことができるものである必要がある。 さらに言えば、そのデータは実際に表現で使用されたものであることが望ましい。

(今回は書いていませんが、作品のシステム図や機材要件なども、もちろん作成します)

ふぅ。と、ここまで書いていろいろググったら 文化庁のページにまぁまぁ同じようなことが書いてあった!ので、 そちらを読んでください。(せっかく書いたのに・・・

ロジックの保存・修復 | タイムベースト・メディアを用いた美術作品の修復・保存ガイド

ここまでまとめてる文化庁ってすごい…。

さて。 確かにここまで書いたことは上記の文化庁のページに書かれてることと 大きく重なっていますが、文化庁には知りえないことがあります。 それは、実際の現場です!現場!


現場は収蔵どころじゃない

さきほどの文化庁のリンク先の文末に

「将来的に,再制作やバージョンアップがより確実な判断のもと行われるよう, これら統合的な作品ロジックの保全が望まれる。」

と書かれていますが、現場はそれどころじゃない笑。

現場では数日後には展覧会はオープンするし、作家もギリギリまで表現を作り込みたい。 収蔵?それよりも明日の15時には美術館のドアが開くんだ!

さらに、保全を検討しすぎるあまり、 「(保全のために)表現に限界を設ける」 「(保全のために)表現を創作する時間を短縮する」といったような 負担を作家にかけることも、もちろんできない。

なので、いままでと変わらない制作フローで、 完成と同時に収蔵を即座に検討できる状態まで持っていけるのがベストです。

しかも、自分の首を締めるかのように、 「収蔵するときには、実際に表現で使用されたデータであることが重要だ!」 なんてハードルを設けちゃったもんだから、もう大変!!!

なので、今回の現場では、 今までのワークフローを見直しつつ、 展示オープン直後に収蔵まで一気に持っていける制作環境を構築しました。


現場:ソフトウェアについて

ソフトウェアについては、 「制作フロー」と「展示フロー」を分けて考えました。

「制作フロー」では、自分が使い慣れているMacやアプリケーション(Maxなど)を使用し、 即座に作家の要望に答えられる環境を用意しました。 即興で役者が動けたり、音がポン出しできたりする環境ですね。稽古場の状態です。 ここで戯曲を作り上げます。

「展示フロー」では、制作で作り上げた戯曲(データ)を展示運営用のデバイスに移して展開させます。

この「制作フロー」と「展示フロー」の切り替えは いくつかのアプリケーションを作成することでほぼシームレスに実現できました。


現場:ハードウェアについて

基本は、「1人(デバイス)、1役!」

シーケンサー!音出力担当!モーター担当!照明担当!

これまで明確に分けてしまえば、極端に言えばデバイスの代わりが人間でもできます。

(ト書き)1秒間を30分割したものを1フレームとして時間単位を定義する。 その13287フレーム目 (セリフ)スピーカー「ファーーー(音が鳴る)」

の、音が鳴るというのをデバイスが再生させなくても、 人間が再生ボタンを押して再生でも再現はできるわけです。

1デバイス、1役。 これは、「制作フロー」で強い意味を持っています。 作家は稽古場では即興的にいろんなことを思いつきます。 そして色々な要素を足したり、引いたりします。 もしそれをすべてのパソコン1台に任せていくと限界を迎えてしまいます。 しかし、1デバイス1役としておけば、 新しい役目をもったデバイスを一台連れてきて、台本を渡すだけです。

作品の要素をモジュール化し、外部に出すことで 作家の要望を即座に叶えることができるようになりました。

「展示フロー」においても、音が出なかったら音担当のデバイスの調子が悪いんだし、 照明がつかないんだったら、照明担当がおかしい。 おかしい部分だけを交換しちゃえばすぐに復旧できます。 そこは要件さえ満たせば、MacでもiPhoneでもAndroidでもなんでもいいので、交換が容易です。


現場:作品の運営について

タイムベースドな作品は、さまざまなデバイスやPCなどいろんなものを使用する作品があります。 だからといって、作品の運営、つまり作品の起動や終了が難しいとなるのは好ましくありません。 作品を運用するのは、作家でもなくエンジニアでもなく、美術館のスタッフさんたちです。 作品を預かってもらう人たちに負担はかけたくないものです。

表現上、やむを得ない場合はしかたがありませんが、作品の運営は極力シンプルにすべきです。 これは、手順のミスによる作品の故障やトラブルを避けるだけではなく、 将来、作品の再展示に関して「運営が厳しそうだからやめておこう」と思われないためでもあります。 作品が愛されるのを邪魔する要素は、少しでもなくしておくべきです。


さいごに

様々なご縁で、収蔵までを見越した作品制作に立ち会うことだできたおかげで、 場当たり的に立ち会っていた作品制作の現場を見直すことができましたし、 自分のバックグラウンドを引っ張って思考できました。楽しい。

作品を制作するのは作家だけでできるのかもしれません。 ただ、作家だけで収蔵までを見越して作品制作に向かおうとすると、それはかなりの負担になるでしょう。 しかも、ギャラリーや美術館は要望はすれど、ここまで対応してくれそうにない。 だけど、テクニカルスタッフという謎の職能を持った数少ない人間ならばこれを引き受けることができそうです。

もちろん、タイムベースド作品はいろんな種類のものがあります。 ここに書いた方式で保存できる作品は限られています。 そういった作品に立ち会うことができたときには、また検討するし、 考えていきたいです。

追伸: 作品のプログラムの中で、ただ単純に乱数を発生させる一文を書いてしまうと、 戯曲として残ってしまうので、「こいつ、適当にランダム使っただけだな」という証拠が 星が消滅するまでのこるという感じがいいですよね。

*1:過去の自分よわかっているか、台本は稽古に入る前に作らないといけないんだぞ。・・・いや、自分はそもそもこのお決まりのプロセスに懐疑的で実験的な制作をめざしていたんだごにょにょ

*2:時間という次元が、今の様式でない世の中になったらたぶん、タイムベースド作品やパフォーミングアーツの収蔵作品は全部再現不可能になるし、もしそうなった場合は、現在の時間形式が再現できる空間での再現になるはず・・・という妄想

*3:あくまで一般的ね!16次元で戯曲を書く人もいるし、複数の時間軸で場を展開する人もいるけど、 とりあえず、基本ね!基本!

テラスハウス(地上波)の最終回を見た時のメモ書き

劇場版の公開、Netflixでの放送も始まったテラスハウス

前シーズンの最終回を見た時のメモ書きがあったので、それを貼っておきます。 

 

- - - - - 

最後のパート*1に副音声を入れなかったスタッフの覚悟に感嘆しました。

 主音声だけを見ていた視聴者は気づかないかもしれないですが、副音声を無くすことで[主音声派][副音声派]の二極に分かれていた視聴者を一つにまとめ、哲の物語に集中させたかったのでしょう。

いや、もしかしたら副音声は入っていたのかもしれません。スタジオ出演者も沈黙し、哲の物語を見ることに集中していたかもしれません。

 

玄関の扉をあけた最後のシーン、哲はひとことも発しませんでした。
しかし、哲は確かに何かを見ました。何を見たのでしょうか。*2

 

そこで突然、テラスハウスは終わりました。

 

テラスハウスの放送には映らない住人たちの時間(リアル/物語/日常)を
視聴者の想像力に任せていた制作側は、哲が見た最後の風景も我々に託したのです。

 

そして、副音声を中心に見ていた視聴者にとってはあまりにも唐突な別れでした。
最後のパートで突然副音声が無くなってしまったため、
共に(擬似的な)お茶の間で過ごしたスタジオ出演者と最後の別れのあいさつもなく、終わったのです。

 

これほど、視聴者の想像力を信頼した最終回が待ってるとは思っていませんでした。

 

- - - - 

 

 

*1:テラスハウスの番組としての基本構造についてはテラスハウスの副音声がおもしろい:前編 - Tentative の第6項を参照

*2:何を本当に見たかは劇場版予告編を参照。このときには劇場版がやるなど思ってもいませんでした…

自炊についてかんがえてみた:後編

(この記事は中編のつづきです。)

 

9. 自炊の豊かさは選択肢の多さ

 

(仮に1食あたりのコストを300円とします)
(この記事では健康とか栄養とか一切無視しています)
 
それは、「300円で食べられる料理の数」です。自宅周りで「1食あたり300円で食べられる食事」というのを思い浮かべてみたんです。「牛丼、カレー、ハンバーガー、のり弁当、唐揚げ弁当、あと数々のインスタント食品」ぐらいでした。これらをずっと食べていけば、1食300円で済ませられるんです。しかも自分で作らずに。楽だね!
でも、これ、単純にね、飽きるんです。個人的に美味しい不味いとかはあんまり関係なくて、飽きるんが一番ヤバイんです。しかもこれらは、当然のことながら「いつでもどこでも同じ味」です。すごい速度で飽きます。
 
ところが自炊の場合、材料費300円だとかなり幅が広がります。(食材の内容は変われど)牛丼もカレーもハンバーガーも唐揚げも作れます。(外食ではなぜかお値段高めの)パスタができます。しかもパスタ料理はかなり豊富にできます。「一汁三菜」ももちろん可能です。自分次第で料理の種類は増えます。そして「いつでもどこでも同じ味なんて不可能」です。自分次第で無限に味が変えられるんです。(しかも、見切り品というノイズ、ランダム要素が入るんで、献立の可能性ひろがりまくりです。ジェネレイティヴアートと同じですね!)
 
個人的には白飯とおかずの割合を変更できるのがでかいです。
私はおこめがたくさん食べたいのです。おかずなんてちょっとでいいのです。なのに、外食はおかず多めのご飯少なめなのです。不満です。
 

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愛すべきごはん。とりあえず、ごはん。 

 

そもそも見栄えが素敵な料理を自炊になんて求めてないです。もこみちくんや、レシピ本によくある「女性が惚れる男メシ」なんてもんはエンターテイメントの域であり、いうなればハレのものであり、ケのもののほうが重要です。だって日常食べるものだもの。
 
そう。外食に対して自炊の決定的な利点のひとつは「飽きない程度に献立の種類が増える」ことだったのです。(個人的な結論)
 

 

10. 太刀打ち出来ない労働コストの発生

 

それに対し、外食が自炊に対しての圧倒的利点は、調理にあたっての「労働コスト」がゼロである点です。何度も言いますが、自炊はめんどいです。
昔、プラモデルを人並みに嗜んでいた時代、何が嫌って、下ごしらえです。材料を切って、バリをとって、ヤスリで綺麗にして、サーフェイサー吹いて塗装して乾かして。。。組み立てるまでにこなさなくてはいけない工程がとにかくめんどくさい。
(このめんどくさい時間があるからこそ、完成時に喜びが大きくなるわけですが、まぁめんどいもんはめんどい)
 
自炊をする以上は、労働コストをゼロにすることは絶対に無理です。
 

 

11. 労働コストは減らせる

 

ただ、それをかぎりなく小さくすることは可能です。そこで出てくるのが「調理器具」です。
 
B --
材料費 -- 100円/日も可能 故に外食よりかなり安価
機材費 -- 必要最低限のものだけ
光熱費 -- どうしてもかかる
労働コスト -- めんどい
 
このBパターンで考えると、必要最低限のもので可能です。たしかに可能です。包丁だけで野菜の皮むきも、千切りも、みじん切りもできます。ただ、これらはめんどくさい。めんどくさいことは基本やりたくないものです。だから、「調理器具」を買うわけです。
 
調理器具を買うときに注意することは1点のみ。
「いかに手間と調理時のストレスが省けるか」です。もうこれだけ。
料理をするたびに、どの工程にストレスを感じているか、めんどくなっているかセンサリングしておきましょう。
 
よくあるのは、めんどいのを軽減するために買ったはずなのに、逆にストレスの元になってるとき。それは、後片付けがめんどくさいとか、でかいとか、めったに使わないとか、すぐ壊れるとか、デザインがダサいふざけんな、とかが原因になります。調理器具を使用していく際にストレスを感じては本末転倒です。よく考えてから買いましょう(自戒の念を込めて)
買い過ぎは罪です。(自戒の念を込めて)あと、調理器具が増えたからって爆発的に料理は上手くなりません。(自戒の念を込めて)
 
きっとなんの参考にもなりませんが、自分が普段使っている調理器具を晒しておきます。
 
- スライサー
- フードプロセッサー
- ミキサー
- 玉子焼きフライパン(ミニフライパンとしても使用)
- 底が深めなフライパン(蓋あり)
- 両手鍋
- 片手鍋
 
- ボウル 3
- ザル 2
 
- 炊飯器
- 電子レンジ
 
- 計量カップ
- 計量スプー
- キッチンスケール
 
- お玉 2
- フライ返し
- トング
- 泡立て器
- 菜箸
- 麺棒
 
- 三徳包丁
- まな板
- 包丁研ぎ器
- パンナイフ
- ピーラー
 
- シリコンスチーマー
- 電子レンジでパスタできるやつ
- サラダスピナー(水切り器)
 
- 保存容器 各種
 
- コンロ
(2口以上。もう絶対。一口コンロを提案したキッチン業界どうかしてる。家賃がべらぼうに高いからキッチンがせまいけど、周りの市場では激安な外食ばかりというどこかのアジアの国ならばまだしも!)
 
 

 

12. 「自炊ってめんどくない?マクド行ったほうが安ない?」への解答

 
A -- 自炊初心者
材料費 -- 外食より高価
機材費 -- 一式買い揃えようとすると高価
光熱費 -- どうしてもかかる
労働コスト -- めんどい
 
B -- 極限スタイル
材料費 -- 100円/日も可能 故に外食よりかなり安価
機材費 -- 必要最低限のものだけ
光熱費 -- 必要最低限だけ
労働コスト -- めんどい(けど、作業工程少なめだからまだ楽?)
 
C -- 自炊道のはじまり
材料費 -- 外食と同じぐらい。ちょっと安いぐらい。
機材費 -- 労働コストを減らすためだけの機材を買う
光熱費 -- どうしてもかかる
労働コスト -- めんどい(けど、コストを下げるだけの機材があるので気分的には楽)
 

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「自炊ってめんどくない?マクド行ったほうが安ない?」

 

といった問いに対してはこう答えるようになりました。
 
「めんどい。ただ、マクド行くお金でかなりの数の献立が考えられる」
 
そのお金の中には、マクドに行くという選択肢も入っています。僕は外食も好きだし、ジャンクフードも好きです。毎日毎日自炊するのも大変です。そういうときは外食に行ったり、コンビニで弁当を買ったりしちゃいます。それでもいいじゃない、にんげんだもの。
 
この記事では健康的であるかないかという価値は無視していましたが、最後なので個人的な思いを。
当たり前のことですが、自炊だからって健康的な食生活とはいえません。健康的な食生活を外食だけで送ることもできます。「外食は味付けが濃いから身体に悪い」なんて、絶対そんなことはないです。身体にいいご飯を提供しているベジタブル喫茶トイトイみたいなお店や、レストランだってあります(ヴィーガン対応のレストランも増えてきました)。そこに通いつめれば健康的な食生活です。
 
ぼくももしかしたらそういう生活をしたいのかもしれません。ただそれができないのは、自分の経済状況では毎食外食ってのは少しコスト高ってところと、通いたくなるような店が生活圏内で見つけられていないこと。あと、最初にもいいましたがやっぱり何かを作るってことがそれなりに快感だから自炊しちゃうんだろうなぁと思います。
 
ということで、自炊について考えてみました。
最後に、大阪時代においしいゴハンを作ってくれたりしてた辻並さん(https://twitter.com/gecoya)(粉モンつくらせたら最強)がくれた言葉で締めたいと思います。
 
「友人知人恋人家族が作ったおいしい手作りご飯を食べれるところにいれば、人はなかなか死なない」
 

真理だと思う。

 

 

13. 余談

 

- このテキストを書くきっかけになったInstagram
 
 
コメント抜粋>
主婦力とは「家事において、経済面、工程面で合理的な手法を選択し、かつ見栄を晴ることが出来る能力」というのが今の所の見解です
 
この発想は、「ズボラ飯」という概念から生まれたと思っています。ズボラ飯最高。
 
- ぼくはグルメ味音痴として有名です。普通に美味しいものと、バリ美味いもの(高価)の違いがわからない点。これを指摘された時、ショックだった。美味いものがわからないなんて。。。!ただ、普通にうまいというのはわかるからね!
 
- 料理上手くならないって人は、レシピどうりにつくればいいって本当に思う。あと、味見すればいいってマジで思う。
 
- 男の自炊がモテないってのは本当です。ケンタロウ師匠が作るような料理できたらそらモテるかもしれないし、モテ料理ってのはこの世に存在すると思う。けど、普通に料理ができるってなーんも点数になりません。むしろ、「この人、料理できるんだー。なんか口うるさそう」ってなります!だから気をつけて!脳ある鷹は必死に爪を隠して!
 
 
- 一生懸命、朝起きて全部手作りで弁当作っていってたのに、同じ職場の男子のほうがきらびやかな弁当で女子にキャーキャー言われてた。その中身は、多種多様な冷凍食品と昨晩のおかずの残りで構成されていた。その瞬間、冷凍食品に対するネガティブイメージが一気に消えた。だってよく考えたらコンビニ弁当だって、冷凍食品だって同じやん!以降、弁当作る際、積極的に冷凍食品をおかずの選考対象にするようになりました(労働コスト削減最優先。朝は1分が大事)。普通の食事の時にはあんまり使わないかな。「冷たい熱帯魚」の食事シーンの影響かな。

 

- このNaverまとめみたときになにか震えた。ココイチのカレー食べたい。


お家で出来る人気チェーンの再現レシピ - NAVER まとめ

 
以上です。
 
 

自炊についてかんがえてみた:中編

(この記事は前編のつづきです。)

5. 本当に自炊は高くつくのか?

 

ただ、自分の中に深く刻まれた傷がこう問いかけるわけです。
 
「そんなことはない、自炊はマクドに行くよりも安くすむんや…忘れたんか?」
と。
 
忘れるわけありません。もやしを「神の毛」と崇め奉ったあの時代を。
 

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The moyashi is a hair of God.

 
それでは、金銭コストを減らす、つまり「節約」をしてみようと思います。さきほども定義付けましたが、ここでは「食費を¥100/日以下」までのことをして初めて「節約」と言います。乱暴なのは百も承知!
 
「材料費」
外食で節約しようとしても、限界があります。1食を100円で抑えることはできても、50円程度に抑えるのは相当至難の業です。それができたとしても満腹になることはありません。ただ、自炊ではコレが(かなり強引ですが)可能になります。
例えば、スーパーのセール時などで、即席ラーメン5袋入りが200円で売っていたとします。1袋40円です。半分にすれば、20円。一袋19円のもやしを軽く炒めてそこに載せれば、39円でもやし入りラーメンの完成。あと、お茶碗1杯のご飯の米代はざっくり24円です。よって、もやし入り半ラーメンとごはんが63円で実現可能になります。
 

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もう一例をあげると、小麦粉80gと、キャベツ1/4玉でキャベツ焼きを作ります。それにごはん一杯をつけます。すると、キャベツ焼き(小麦粉12円、キャベツ25円、ソース2円)とごはん(24円)で63円になります!(もやし入れるとベチャベチャするからキャベツ推奨です)
 
このように、「自炊」では極限まで材料費を「節約」することができます。ここまでの節約は外食ではさすがに困難です。
 
「光熱費」
料理の行程が少なければ少ないほど安くなるので、どれだけさっと無駄なく作れるかが問われます。
 
「機材費」
必要最低限のものがあればいいのです。なので、包丁とまな板、厚底のフライパンがあれば何とかなります。厚底のフライパンであれば、鍋として使用することもできるので、炒めものはもちろんパスタも茹でられます。袋麺もいけます。包丁もまな板も100均で買えますが、さすがに心もとないので、ニトリで買いましょう。3000円ぐらいで揃えられるはずです。ホームセンターで買うこともできますが、ホームセンターは庶民の味方と見せかけて、意外といい値段で売ってたりしますので要注意です。お、ねだん以上。ニトリです。
 
つまり、自炊における金銭コストは減らすことができるのです。
 

 

6. 自炊に対しての疑問

 
ちょっとここまでをまとめます。
 
A -- 
材料費 -- 外食より高価
機材費 -- 一式買い揃えようとすると高価
光熱費 -- どうしてもかかる
労働コスト -- めんどい
 
B -- 
材料費 -- 100円/日も可能 故に外食よりかなり安価
機材費 -- 必要最低限のものだけ
光熱費 -- どうしてもかかる
労働コスト -- めんどい
 
(わかりやすいようにAもBも極端にしています。)
 
サンプルとしてあげたこのAとB、、これは自分が送ってきた自炊スタイルの変遷です。
最初、自炊を始めた頃(パターンA)は「自炊は安く済む」と思い込んでいましたが、それは概ね間違いでした。そして、もろもろの事情でお金がなくなると、自炊の極限(パターンB)へと移行します。基本的にはこれを往復する形で数年間過ごしました。この往復を繰り返してくると自然と疑問が浮かびます。果たしてこれは正しいのか。正しいというかハッピーなのか。ハッピーな自炊ができないものか。
 
そして、自分の自炊生活に静かな変化が起こります。
 

 

7. ルームメイトから得た食材の「やりくり」

 
私は30代になる直前に、それまで拠点としてた大阪を離れてIAMASという学校に入学しました。フリーランスの仕事をしていましたが、大阪から離れたことで仕事が減り、あっという間に貯金もなくなり生活が苦しくなります。なんとか生活費を抑えなくてはならないと考えていた頃に、同級生の女性二人とルームシェアをする機会が訪れます。ルームシェア生活を送ることになったこの三人は、作品制作のため、お金がありませんでした。三人で住むことになっても生活費を低く抑えることが求められました。
 
(※前記事でテラスハウスの記事書いてはいますが、自分が過ごしたルームシェア生活は楽しく且つドライなものでした)
 
ルームメイトのひとりが料理がうまいというより、非常に「自炊」が上手な人で、食材のやりくりが巧みでした。今でも畏敬の念を抱いています。ぼくはルームシェア生活を送っている間、彼女が見せてくれた食材のやりくりを自分なりに続けています。
 
スーパーに行ったら、まずは生鮮食品の「見切り品」の棚にあるもの、もしくは割引シールが貼られたものを買う
晩御飯に何を作るかを考えるのは時におっくうになるものです。それを見切り品の内容でその日の献立を決めるのです。たとえばカブがやすければカブのそぼろ煮であるとか、白身魚がやすければムニエルとかそういった感じです。
 
食材を保存する
食材は安い時に買って保存するのがいいです。そして使いやすいように小分けにして保存すること。こうすることで無駄なく食材を使い、コストを安く下げることができます。冷凍できるものは冷凍します。
(家庭の冷蔵庫の冷凍スペースの容量増やしてほしい。野菜庫広くしてご満悦な顔してる場合じゃないぞ家電メーカー)
 
野菜の保存方法についてこちらが参考になります。さすがキューピーさん。


野菜を保存する|もっと野菜を。もっと食卓に。|キユーピー

 
ルームメイトは、野菜の干し野菜にも挑戦していました。

 

長期保存が可能な食材を買う
おもに乾物です。それまでぼくはせいぜい、昆布や干し椎茸、あとは乾麺ぐらいしかつかっていませんでした。しかし、ルームメイトが干しスルメを水で戻す実験を行ったとき、まさにイカが息を吹き返していくような現象に心底感心してしまいました。乾物すげー。今だにあの驚きを忘れることができないと同時に、乾物への評価が高まりました。
 

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スルメイカが戻っていく姿は感動的ですらあった 

 

ルームメイトが行っていた「やりくり」の基本は、
「安い時に大量に仕入れ、保存する」
でした。こんなごく当たり前なことなのですが、頭でわかっていても、Howtoをしらないとなかなかこの境地に辿りつけないものです。今思い返してみれば、実家で料理をさせてもらっていた頃にしていたのは、せいぜい「調理および補助」であり、「材料の仕入れ」については母親が行い、それに立ち会うこともありませんでした(ていうか、作りたいもん作りたいだけだからそんなん見てるわけない)
 

 
8. 「やりくり」したからって安くならない自炊
 
ということで、食材の「やりくり」を行なうとどうなるか。個人的な感覚だと以下のようになります
 
C --
材料費 -- 外食と同じぐらい。ちょっと安いぐらい。
機材費 -- ???
光熱費 -- どうしてもかかる
労働コスト -- めんどい
 
あれ、やりくりできるんだから、安くなって当然じゃないの?
でもそんなの外食産業だってもちろん「安い時に大量に仕入れ、保存する」に決まってるし、しかも規模が違います。なかなか太刀打ちできるものではありません。(もちろん献立によりますが)
 
自炊派は、外食派に勝てないのでしょうか。私自身も「外食行って300円で牛丼やカレーなどを食べられるのであればそっちがいいや」と長らく思っていました(今も思ってる)。ルームメイトの食材のやりくりを見た後でもそう思っています。
ただ、外食と自炊では確実にそして明らかに違う点がありました。
 
それは自分を徹底的に自炊派に肩を寄せる点だったのです。
 
 
後編につづきます。
 


自炊についてかんがえてみた:後編 - Tentative

 
 
 
 

自炊についてかんがえてみた:前編

00. はじめにの前に

 

この記事は「料理をする」ほうの「自炊」について、だらだらと考えた記事です。

 

 

0. はじめに

 
男の自炊はモテるという情報は都市伝説のように存在します。「料理できる」ということが、モテるモテないの決定的な要素にはならないことは明白ですが、もし、モテるモテないが加算方式による総合評価落札方式であれば、多少なりとも得点にはなりそうです。ただ、その場合、かなりの腕前(店出してもおかしくないレベル)でかつ、おしゃれな料理を出さないと確実には得点になりません。普通レベルだと、ヘタすれば失点にもつながりかねません。気をつけてください。
 

 

1. 自分と自炊の馴れ初め

 
自分は「ものをつくる」ということが基本的に好きでたまらない人間だと思うのですが、その中でも一番長く続いているものは「自炊」だろうと思います。そもそも料理をすることには興味はありました。幼少の頃、居間の本棚にはレシピ本が何冊かありました。父親が独身時代に手に入れたであろう基本的なもの、母親が献立の幅を広げようとして購入したもの…。ぼくはそれらレシピ本を見るのが好き(特に写真ではなくイラストで工程を説明しているものが好き)で、暇があってはそれらの本を読み返していました。一人暮らしを始めたときに自分のためのレシピ本を買った時は嬉しかったものです。クックパッド全盛期の今でも、気を抜くとレシピ本をたくさん買ってしまいそうになります。本屋マジ危険。
 
(余談:イラストで表現された料理が好きなのは間違いなく、藤子不二雄先生の「ドラえもん」が原体験としてあるからでしょう。漫画に出てくる料理の美味しそうさは異常。ただ、将太の寿司華麗なる食卓のようなリアル描写ものではなく、やはり藤子先生の必要最小限の線で描画された料理は最高。今だにのび太の海底鬼岩城に登場する「海底クッキングマシーン」(材料が全て海中のプランクトンで賄えるという素敵さ)で作られた料理が世界で一番食べたい食べ物です。)
 

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スネオにいい肉と言わせるほど美味「海底クッキングマシーン(画像はこちらから拝借)
 
そのようにレシピ本を眺めていた調理待機児童の私は、親から包丁を持たせてもらえる許しを得て、もしくは学校の調理実習の時間を迎えて、やっと料理をさせてもらうことになります。妹もいましたから、お菓子作りをすることもありました。
それから数年後、「料理をさせてもらえる」立場から「料理をする」立場へと変わった、つまり「自炊」が始まったのは、大学進学と同時に始まった一人暮らしからでした。美味いか不味いかは別として料理という「ものをつくる」行為の楽しさや、冒頭の「料理ができる男はモテる」という迷信を思い込んだりなど、様々な想いや感情を抱きなから始まった「自炊」は、途中で様々にとまどい、傷つき、誰にも打ち明けずに悩んでいた時を経て、現在もまだ続いています。
 

 

2. 自炊の価値について

 
さて、世の中には
 
  • 自炊をする人(以下、自炊派)
  • 自炊をしない人(以下、外食派)
 
という二種類の人たちが存在するわけですが、自分が思うに、
 

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  • 自炊派「自炊は健康的だし、節約できる」
  • 外食派「自炊ってめんどくない?マクド行ったほうが安ない?」
 
といった意見をそれぞれお持ちです。
 
自炊派が掲げる「節約」そして「健康的である」という絶対的な旗印。「節約」!「健康」!日本人大好き!ぼくも!君も?わたしも!
 
自炊派はこの二枚看板を武器に正論を述べてくるので太刀打ちできません。
 

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しかし、よく考えてみると、この二枚看板、存在感はすごくても、どうも定義が曖昧な気がします。あたり前な話、これらの定義は個人によって様々だからです。どこからどこまでコストカットできるから「節約」なのか、何種類の食材を一日に得られたら「健康的」なのか、それらの線びきは人それぞれです。
 
なので、この記事上における「健康的である」と「節約」という価値の定義を決めておきます。ここをはっきりさせてから話をしないと、伝わるもんも伝わりません。
 
「健康的である」の定義
いきなりであれですが、この記事では「健康的である」という価値そのものを一切無視します。栄養素、カロリー、緑黄色野菜、マゴワヤサシイ、そんなもんしらん!健康的な食生活を送りたいから自炊してるわけやないんや!お腹が空いたから食べるだけなんや!俺の健康=満腹や!(暴論)
 
「節約」の定義
「お店で食べたパスタが1000円したけど、家で作ったら材料費400円ぐらいだったー」
といった類の節約はガン無視します。
 
「電気ガス料金も滞納し、次のバイトのお金が入ればなんとか凌げる。しかし、財布にはもう1000円しかない、これであと10日間生き延びていかなくてはならない..」
といったような危機を乗り越えられて初めて「節約」とします。
なので、先ほどの「1000円のパスタ〜」のくだりは、この記事では節約とはいいません。(今回の記事ではそういった数々の危機を乗り越えてきたサバイバーなTipsを紹介するわけではありませんので、あしからず。)
 
まとめます。
  • 「健康的である」 ---> 価値自体を無視
  • 「節約」 ---> 食費を¥100/日以下
 
それでは、個人的に思う「自炊」についてまとめていきたいと思います。
 

 

3. 自炊はコストがかかる

 
先述した外食派の意見ですが、
「自炊ってめんどくない?マクド行ったほうが安ない?」

 

これは全くもって正しいです。否定の余地がありません。自炊にもそれなりに金銭コストと、労働コスト(めんどいか、めんどくないか)がかかっているんです。

例えば金銭コスト。これが自炊のどこにかかっているのか、説明するほどのことでもありませんが一応書き出すと「材料費」「光熱費」、そして「機材費」です。

ざっくりまとめておきます。 
 
「材料費」 -- (基本的に)外食より金銭コスト高め
言わずもがな、料理の素となる材料にかかるお金です。自炊の金銭面について取り上げるときに、一番重要視される点です。重要視されるあまり、他の「光熱費」「機材費」を見えなくするほどです。基本的に、外食より金銭コストは高くなります。
たとえば、ファミレスで、ハンバーグのプレートが単品で400円だとして、そのプレートには、ハンバーグ本体、それにかかっているソース、そして付け合せの人参のグラッセとポテトフライが鎮座しています。これと同じ内容のものを家でつくろうと、スーパーに行ってイチから材料を買って作ると、ほぼ確実に材料費400円はオーバーします。
 

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 マクドナルドではハンバーガーが100円です。100円であれと同じものを自炊でつくろうとして実現できる人は果たしているのでしょうか。
 
「光熱費」 -- あんまり考えないが、確実にコストは発生している
調理する際に使用する電気ガス水道代です。1日単位では小さい額なので見落としがちですが、自炊していない月と毎日自炊を続けられた月では明確に光熱費の請求代金は違います。
 
「機材費」 -- 「安かろう悪かろう」なので、結果的に高くなる
鍋、包丁など、調理する際に使用する調理器具全般です。ついつい買いすぎてしまったり、逆に何を買っていいかわからなくなることもあります。「自炊を始めよう!」と準備を始めても、思いのほか、買い揃えなくてはいけないからお金もかかるし、収納場所にも困ってしまう‥なんてことが発生します。
 
自炊ではこれだけの金銭コストがかかっており、それらは決して安くない、むしろ高くなる、という現実がそこにはあります。
 

 

4. 自炊はめんどくさい

 
自炊は料理を作るという労働コストが発生します。つまり、めんどくさいです。コレにつきます。メニュー開いて注文したら、料理が運ばれてきて、食べたら終り、とはいきません。
 
材料買ってきて(米重い)、
下ごしらえして(玉ねぎ切ったら目がしみる)、
調理して(火元あついキケン)、
盛りつけてご飯食べたら、食器や調理器具を洗って(油汚れガンコ)片付ける。
 
とてもめんどくさいのです。労働コストは相当高めです。実家でご飯を作ってくれていた親に感謝しましょう。
 
以上から、「自炊ってめんどくない?マクド行ったほうが安ない?」は正論といえます。
 
 
 
中編につづきます。
 


自炊についてかんがえてみた:中編 - Tentative

 

テラスハウスの副音声がおもしろい:後編

この記事は、前編からのつづきです。

 

8. ここまでのまとめ

では、前回までを一度まとめてみます。

  • テラスハウスは「一つ屋根の下での複数のオシャレ男女の共同生活に迫ったオシャレリアリティ番組」である
  • スタジオのセットがどこかの家のリビング
  • 構成上、番組をけん引するのは「シェアハウスの様子VTR」であり「スタジオトーク」ではない
    • ありがちなワイプがない
    • 締めのコメントもなく終わる 
  • 「スタジオトーク」がメインではないのに、スタジオメンバーは半分が芸人という違和感

内容に一切触れていないのはネタバレを気にかけているわけではなく、個人的に重要な、面白いと思っているのがそこではないからです。

番組を制作されているのはプロの方たちですから、上でまとめたような「普通のバラエティ番組とはほんのすこしだけ違う構成と違和感」が偶然とは考えにくいです。それらがどこに適用されているのか。そこがまさに個人的にドハマりしている部分なのです。

それが「副音声」という存在でした。

 

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テラスハウスの副音声がおもしろい:前編

0.  はじめに

タイトルについてほそぼそと思っていたことを何とか書きたいなぁと思ってのんびり構えていたら、来週の月曜日に最終回を迎えてしまうので、慌ててせいりせいとんしていますので、乱筆乱文、しかも長文になっています。そしてまだ今日の時点では書き終えていません。書き終えることができるのでしょうか。

 

では、はじめます。

 

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