Tentative

おもしろいとおもったことをもう一回かんがえるせいりするまとめる

仮想劇場短編演劇祭に寄せて/寄り添って

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はじめに

大阪にある劇場「ウイングフィールド」のスタッフである橋本さんから、「ZOOMしませんか?」というLINEが届いたのは「オンライン舞台監督という仕事について」という記事をブログに投稿してから3日後のことでした。橋本さんは、大学の後輩で作家であり演出家でありデザイナーでもあったりする非常に多才な人です。

その昔、自分がIAMASという学校を受験する際、「自己推薦文」の提出が義務付けられていたので、

「自分で自分を推薦するだけでは自分という人間を伝えきれないので、自分のことをあまりよく知らない後輩と2人きりで日本縦断し、「縦断する前に抱いていた自分の印象」と、「縦断後に獲得した自分の印象」という2種類のテキストを書いもらって、それを自己推薦文と併せて提出してしまおう」

という(他人からすれば非常にめんどくさい)企画を立ち上げ、(きっと恐る恐る)乗ってくれたのが橋本さんです。結果、無事に学校に合格することができました。在学中に担当教員から「学校に入学するために日本縦断してきた人を落とす訳にはいかないと思った」という言質が取れているので、つまり橋本さんは恩人でもあります。そんな橋本さんと久しぶりにオンラインでお話することになりました。(旧友同士によるただのオンライン呑み会)

 

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(ぼくと橋本さんにとっては)伝説の「My/Him PORTRAIT」
最終的にはムックっぽくデザインして提出したのでした

当時まだInstagramなかったけど、めっちゃInstagramっぽいな

 

近況報告なども兼ねていろいろと話していく中で、5月6日に「12人の優しい日本人」の朗読劇が行なわれたころから、オンライン上に広がり始めていた「オンライン演劇」(ZOOM演劇)の話題になりました。その日の時点で「オンライン演劇」と言われる作品をいくつか見ていましたが、「画面上で見てるときにふと、そもそも演劇ってどういう定義だっけ?と思ったんよねー」という話になって、そこから演劇の話がダラダラと始まっていったのです。

演劇ってなんだったっけ?

みんな大好きイギリスの演出家 ピーター・ブルックが書いた「なにもない空間」(晶文社)という本は、こんな有名な一節から始まります。

「ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる。― 演劇行為が成り立つためにはこれだけで足りるはずだ。」

なるほど。たしかにそう大学で習いましたし、今でもふっと思い出したりします。ただ、そうなってくると、今、目の前のモニターで行なわれている営み(オンラインライブでの演劇)はなんだろう?映像作品との違いを自分はどう説明できるだろうか?これを演劇行為として捉えるには、「演劇的」である何かをどこかで取りこぼしているのではないか、もしかしたら無視してしまっているのではないか?

それらを視聴している「体験」についても、コロナ以前に確実に体験していた「演劇的体験」と同じものとして語っていいんだろうか?行なわれている表現が「演劇的表現」であったとしても、そこから自分たちは「演劇的体験」を受容できていたのかな…と。ていうかそもそも自分が今言ってる「演劇的」ってのが抽象的すぎてうーん!

うまく言葉が見つかりませんが、当時(今も)モヤモヤしていたことはわかってもらえると思います。

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「なにもない空間」の書き出し。学生時代の書き込みが残ってた。

 

100年前はどうしていたんだろう

コロナウイルス(COVID-19)によるパンデミックはよく、およそ100年前に発生したスペイン風邪によるパンデミックと比較されます。当時、どんな演劇が行なわれていたか、コロナウイルスでこれだけの騒ぎになっているのだから何かしら記録が残っているかもしれないと調べてみたりするわけです。しかし、インターネットで検索はしてみるものの、めぼしい記事は見つかりません。

そこで、祖母の家に残っていた父親の学生時代の書籍棚から随分前に拝借したきりだった「演劇論講座 演劇史 外国編」(汐分社)という本を開いてみました。初版が1976年と大昔なので、今よりスペイン風邪に断然近しい時代の文献になります。全てを読むのは大変だったので、まずは巻末の年表を見てみます。この年表がよくできていて、演劇界に起きた事項と、重要な作品、そして政治経済の年表が一緒になっています。スペイン風邪パンデミックが発生したのが1918年ごろらしいので、そのあたりを見てみるのですが、御存知の通り、そのころは第一次世界大戦の真っ只中。大戦に関する記述は多数あるのですが、スペイン風邪のことは(とりあえず年表には)書かれていませんでした。

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「演劇論講座 演劇史 外国編」の年表。時代濃ゆすぎ。

この記事を書くにあたって再び検索してみたら以下のような記事を見つけました。

THE KYOTO「劇場は疫病にどう向き合ってきたか」 
https://the.kyoto/article/88620a22-3b7c-4728-aa34-1c98da9411eb
図版なども見たことのないものが多くて素晴らしい記事でした。当時の劇場側の対策や、演劇界を取り巻いていた厳しい状況も初めて知りました。でもまだ、スペイン風邪の頃の演劇行為がどうだったのかは今でもわからずじまいです。まさか、アクリル板とか立ててはいないだろうなぁ。

NYタイムズにも似たような記事がありました。
‘Gotham Refuses to Get Scared’: In 1918, Theaters Stayed Open
https://www.nytimes.com/2020/07/14/theater/spanish-flu-1918-new-york-theater.html
開演時間をずらしまくって混雑を避けたりする劇場の対策などがわかります。

100年後はどうしているんだろう

こんなようなことをダラダラと話していると、橋本さんから「この状況下であえてなにか挑戦できるような企画を劇場で考えてみたい」という話を切り出されます。

それを受けて、今まで話してきたことや頭に浮かんだこと、(当時の)いろいろな状況などを整理してみました。

  • コロナウィルスが終息すれば、オンラインライブで獲得した新しい表現同じ運命を辿りそうで、モチベあがりづらいよね
  • 今回のパンデミックは、100年後の未来(もっと近い将来かも)でも必ず起きると言われている
  • 100年後にまたパンデミックが来ても、さすがにその頃には今みたいな状況にまで追い詰められないでしょ→100年前のスペイン風邪のときも結局自宅に巣ごもりしていたらしいよ→じゃあ、100年後もそんな変わらんかーそうかー。
  • スペイン風邪当時の演劇作品の記録がよくわからない(演劇資料館に問い合わせてみたい)
  • 代替行為ではないオンラインライブでの演劇的行為とは何よ?
  • これからしばらくはコロナ対策として客席を100%埋めることができないので、オフライン観客(実際の劇場にいる観客)+オンライン観客に向けてのハイブリッドな表現が重要になってくる(かも)

そこから「じゃあ、もう今から100年後のパンデミックを見越して実験しておいたほうがよくない?」という話が始まりました。今、この状況下であれば、オンラインライブでの演劇行為が真っ当に批評/記録され、評価/検討されるでだろうし、劇場に観客が戻ってくるコロナ終息後は、そこまでの待遇はないだろう。ならば、今だ、今しかない。100年後の後輩たちに確実になにかを残すなら今しかない。いつやんの?今でしょ!

そんな、(大好きな後輩を前にいい気になって)好き勝手に放言した数日後、橋本さんから届いた企画書が、今回開催される「仮想劇場短編演劇祭」といったものでした。そしてぼくは、恐れ多くもその企画の「企画アドバイザー」としてお手伝いさせていただくことになったのです。

「演劇作家」という職能

さまざまなオンラインライブの表現行為が行なわれている中で検討しなくてはいけないのが、「2つの空間」と「2つの時間」がある…つまり舞台(表現者)と、モニター越しでそれを見ている観客(鑑賞者)が、確実に違う「時間」と「空間」にいるということです。

まずは「時間」について。
オンラインライブである以上は、舞台と観客の間にはタイムラグが発生します。それがたとえ数秒から数十秒だとしても、表現者からすれば、今見えてる北極星の光が400年前のものと同じぐらいの時間差です。それにそもそも、モニターで見ている表現行為がリアルタイムで行なわれている保証も実はどこにもないのです。

そして「空間」について。
舞台は唯一のものとして考えられるかもしれませんが、観客がいる客席は観客の人数だけ違います。自宅なのか、一人暮らしなのか実家なのか。部屋の明かりは点いているのか、消えているのかなどなど…。

オンラインライブで表現を作るということは、これらを前提に作るということで、非常に難しいことです。考えなくちゃいけないことが多すぎる。今までは、ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、それをもうひとりの人間が見つめるだけでよかったのに!眼前に、役者の身体が、そこにあるだけで良かったのに!

演出家、脚本家、役者と分けずにあえて「演劇作家」という言葉で括りますが、演劇作家はいかなる事象にも思考を巡らせる職能を持った人たちです。

表現としての物語/身体だけでなく、観客がいる客席のこと、舞台として区切られる…もしくはその境界も無くしてしまった空間、時間、他の観客の視線、聞こえてくる音、声、もしかしたら劇場の外の音や天気、テントをめくったその彼方の景色、劇場までの道、匂いに至るまで、観客の取り巻くあらゆる環境にも意識を行き届かせることができるのが、演劇作家の、紀元前から練り上げられてきた職能なのではとぼくは思っています。

ということは、演劇作家は、オンラインライブで行なわれる演劇の課題に触れ、「代替の手段」ではない表現に挑戦/思考し、観客に新しい演劇的体験を提供できる人材なのではないでしょうか?

演劇作家の職能を信じているぼくはそう思うのです。

仮想劇場短編演劇祭

この企画に集まった3つの劇団「うさぎの喘ギ」「かしこしばい」「[フキョウワ]」は、大阪を中心に活動する20代を中心とした若手劇団の皆さんです。これから自分たちの演劇表現を獲得していこうとしていた時期に、今回の事態が発生しています。しかし、そんな若手とはいえ、さきほどの職能を有する演劇作家には違いありません。作家としていかに「演劇的」なものが実現/獲得できるか。結果としての「演劇的表現」だけではなくて、そこに至るまでの「演劇的思考」が試されています。ここでの挑戦/思考は、コロナ以降の自身の演劇表現にも必ず活かされるので皆さん頑張ってください!

・・・と、偉そうに言いたくなるおじさんですが、オンラインで稽古を見学させてもらったり、定期的にみなさんとミーティングさせてもらっていると、そんな言葉をかける必要はどうもなさそうです。作家の皆さんは全力、フルテンMAXでした。

ただ、オンラインライブでの表現には技術的困難が付きまといます。自分は、作家が望む表現が実現できるように劇場スタッフの皆様と共に全力でサポートさせていただけたらと思います。

『仮想劇場短編演劇祭』は、8/22-24に先程の3劇団が連続上演、橋本さんが主宰するユニット「万博設計」は8/29-30に上演を行います。

感染防止策などいろいろな事情で、実際の劇場にお客様は入場することができませんが、客席には批評ゲストとして、高橋恵(虚空劇団)さん、笠井友仁さん(エイチエム・シアター・カンパニー)、筒井潤さん(dracom)をお招きしています。

詳細については、ウイングフィールドの公演情報ページを御覧ください。

http://wing-f.main.jp/plan.html

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私はたぶん、オンラインで観劇することになると思います。当日、どういう気持ちでモニター前に座ることになるのか、モニター前から離れるときにどういった「劇後感」を味わうことになるのか、企画参加者として楽しみにしています。

 

みなさまもお時間が許しましたら、ぜひご観劇ください。

 

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追記1:オンラインライブという言葉を使用しているのは、オンラインを活用してライブ(リアルタイム)で行なわれることを表現したかったためです。すこしややこしくてすみません。

 

追記2:AMERICAN THEATERというサイトにも記事がありました。
Theatre and the Last Pandemic
https://www.americantheatre.org/2020/03/24/theatre-and-the-last-pandemic/

この記事で面白かったのが
スペイン風邪が題材で流行ることはなくて、あのときの怖さはみんなすぐに忘れた。(中略)だけども、今のTheatre artists(たぶん演劇作家と訳していいとおもう)は100年前の作家のように忘れてしまうようなことはたぶんなくて、この不安定で怖い時間のことをポストコロナ時代に私達に差し出してくれるだろうね」的なことが書いてあったこと。
100年前の演劇作家、パンデミックすぐ忘れちゃってたっぽい!まぁ、大戦が同時にあったからね…

 

追記3:ある劇団の稽古場で台本を持ちながらの立ち稽古をオンラインで見学していたのですが、印刷された台本でなくて、スマホを持って本読みする風景を目にして橋本さんとLINEできゃいきゃい盛り上がってました。時代!

 

追記4:2007年に「大阪現代演劇祭 仮設劇場〈WA〉」という企画があって、オーディション受けて松田正隆さんの作品をドラマリーディングしたなぁ。今度は仮設じゃなくて仮想なんだなーと思ったりしました。

 

追記5:ウイングフィールドは、関西小劇場界にとって本当に重要な場所です。自分が20代の頃も幾度となくウイングに足を運び、ぎゅうぎゅうの客席でいろんな作品を見たし、先輩の公演を撮影するために客席をドタドタと走り回ったし、屋上の楽屋で暑くて死にそうになったこともあるし、本当に思い出深い場所です。いまもなお、実験的な劇場として機能していること、今回このような機会をいただけたこと、本当に嬉しかったです。スタッフであり後輩の橋本さんをはじめウイングフィールドのスタッフのみなさま、そして代表の福本さんに改めて御礼申し上げます。