テラスハウス(地上波)の最終回を見た時のメモ書き
劇場版の公開、Netflixでの放送も始まったテラスハウス。
前シーズンの最終回を見た時のメモ書きがあったので、それを貼っておきます。
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最後のパート*1に副音声を入れなかったスタッフの覚悟に感嘆しました。
主音声だけを見ていた視聴者は気づかないかもしれないですが、副音声を無くすことで[主音声派][副音声派]の二極に分かれていた視聴者を一つにまとめ、哲の物語に集中させたかったのでしょう。
いや、もしかしたら副音声は入っていたのかもしれません。スタジオ出演者も沈黙し、哲の物語を見ることに集中していたかもしれません。
玄関の扉をあけた最後のシーン、哲はひとことも発しませんでした。
しかし、哲は確かに何かを見ました。何を見たのでしょうか。*2
そこで突然、テラスハウスは終わりました。
テラスハウスの放送には映らない住人たちの時間(リアル/物語/日常)を
視聴者の想像力に任せていた制作側は、哲が見た最後の風景も我々に託したのです。
そして、副音声を中心に見ていた視聴者にとってはあまりにも唐突な別れでした。
最後のパートで突然副音声が無くなってしまったため、
共に(擬似的な)お茶の間で過ごしたスタジオ出演者と最後の別れのあいさつもなく、終わったのです。
これほど、視聴者の想像力を信頼した最終回が待ってるとは思っていませんでした。
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*1:テラスハウスの番組としての基本構造についてはテラスハウスの副音声がおもしろい:前編 - Tentative の第6項を参照